中国の古典とイノベーションの心構え

  中国古典として有名な「四書五経」の一つである「中庸」では、何かが表出する前の一つにまとまっている状態を「中」と呼んでいる。様々なものが内にくすぶっているが、調和が破れていない状態。

  この「中」なる状態と、最近の脳科学で言われているデフォルトモードネットワークが近いのではないかと考えている。

  イノベーションを起こすには「新結合」を生み出す必要があり、そのような新しい組み合わせは、既存の常識を破らなくてはならない。「うーむ」とうなっている時よりも、ぼーっとしている時の方が思い付く可能性が高い。(昔からトイレとお風呂はアイデアの泉だった。)

  そして「中庸」には、イノベーションにつながる「ぼーっ」の仕方が書いてあるように読める。一度そう読むと、そうとしか読めない。

  自分なりに「中庸」の一部を解釈してみる。

  世の中の原則として「天」があり、この原則に沿ったビジョンとして「性」を持つこと。ビジョンの実現に向かうことを「道」といい、実現に必要な技術なり手法なりを「教」という。

  人が見ていない時にこそ自らを律し、努力を怠らないこと。すなわち「慎独」であること。

  イノベーションが生まれる前の状態を「中」といい、イノベーションが生まれてうまく解決した状態を「和」という。イノベーションをうまく引き出す徳である「中庸」を身につけるべし

  まず道を極めようと努力を続けること。問うことを好むこと。「中」の状態を維持し、そこから生まれたイノベーションに対し、常識を捨てて謙虚に受け入れること。

  嘘偽りのない心を「誠」といい、これを守るからこそ、そのイノベーションは遠く深く厚く拡がっていく。

  と、このような感じですんなり読めてしまう。

  環境の変化は激しさを増す一方だが、人間という種は何万年も変わっていない訳で、イノベーションについてもシュンペーター以前に取り上げた古典はあるだろうと思ってはいた。しかし、四書五経の中に見出せるとは。

 

「中庸」に学ぶ